兵藤哲夫が語る財団設立、動物への想い
プロローグ
「動物たちには大変お世話になりました」
獣医師の兵藤哲夫先生が最近書いたエッセイはこんな一文から始まる。
そのエッセイの中には、今では全く想像もつかないが、吃音で悩み傷ついていた子供時代のことが描かれている。そんな兵藤少年を癒してくれたのが家で飼っていた犬と猫。
既にそこから動物と深く関わった人生が始まっていたのだろう。
兵藤先生は動物病院を開業する傍ら、半世紀以上、利益を顧みずして動物の福祉という考え方を世に広めようと活動を続けている。
そんな兵藤先生が自ら「人生の集大成」と口にする財団の設立に携わったことを私達は大変誇りに思う。
文中では、長年周囲にも親しまれているもはや愛称ともいえる呼び名「兵藤先生」と敢えて呼ばせていただいている。
私達は以前にも、動物病院の経営者としての兵藤先生に取材をしたことがある。
ペットに対して治療を施すのが一般的ではなかった1963年に動物病院を開業して以来、今もなお第一線で活躍なさっている兵藤先生が今回なぜ、一般財団法人兵藤哲夫アニマル基金を設立するに至ったのか。
今回はその代表理事・兵藤先生にインタビューをさせていただいた。
一般財団法人の設立の想い、経緯を聞かせてください。
うちの病院に連れてこられる子たちは、ある意味裕福なというか一定の収入のある飼い主さんがその治療にお金を出してくれる幸せな動物たち。
動物の福祉活動を50年以上やってきた中で、そういう恵まれた環境、飼い主さんの元で暮らすことのできない動物たちに手を差し伸べたい、救いたいという思いが年々強くなってきた。
この歳になって、今まで動物に関わって蓄えてきたものを少しでもその動物たちのために使いたいと思って財団を立ち上げた。
支援の方法は?
直接動物にいくというよりも、動物の愛護や福祉の活動をしている団体や個人に対して支援をしていきたい。また広い意味で不幸な動物を救えることにつながる啓発事業であれば、そういうものにも支援したい。
例えば、動物愛護福祉活動をしている団体が、動物愛護福祉に関わる啓発ポスターを作りたいということであればその製作費や、会報を発行したいということであればその印刷費など。大きな金額の支援ではなく、小さな支援をコツコツと続けていきたいと思っている。
支援先は募集するのではなく、まずは既に付き合いがあり、長い間、一緒に活動をしてきた信頼関係を築けているところにと考えている。
また、役員から推薦のあった団体、個人など、理事会で話し合って決める。一般に募集することは当分考えていない。ホームページも開設予定もないが、年に一回、支援先や関係先、寄付をいただいたところには、私たちがどんな活動をしてきたかをお知らせする会報は作成してお送りしたいと思っている。
支援の手段としては、基本的に金銭面だが、私たちが勉強して、知識を深めることで動物の救済につながるなら、勉強会の開催などもやっていきたいと思っている。
動物の愛護福祉や知識に関して正しい知識を広めることも重要と考えている。講師としては、私、兵藤が自ら行うほか、外部からも講師を呼んだり、そういった勉強会を開催している団体に、共催という形で会場費や資料の印刷代などを少しでも支援をさせてもらえれば嬉しいと思う。具体的な支援の方法も理事会でこれから話し合っていく。
今後この財団で実現していきたいことは?
不幸な犬や猫、その他の動物、広く言えば野生動物や実験動物、家畜まで、この子たちが生きている間の幸せにつながるような活動をしていきたい。譲渡会の開催支援や傷病動物たちの救済、不妊手術の普及など、命を救うことができるのであれば、小さな活動から法律の改正にまで関心をもっていきたいと思っている。
例えば猫に関していえば、しっかりと家の中で飼ってもらえれば、外で苦しい死に方をさせることもないのではないかと思う。
外で餓死したり、感染症になったり、交通事故で起立もできなくなって外で苦しんで死んでいったりする子を減らすには、地域猫活動の充実と共に、猫は室内飼いを原則とするような規則の改正が必要だと思う。
将来この財団がどのように育ってくれれば嬉しいと思いますか?
一人でも多くの方がこの財団の意義を理解して賛同いただくことによって、また寄付なども得られれば、この財団は継続していくのではないかと思う。
だが最終的には、規則に従って、どこかの団体に全てを託して解散できれば、それが一番理想的だと思う。不幸な動物たちがいなくなればそれが一番うれしいこと。40~50年前に比べれば、動物たちを取り巻く環境は格段に良くなっていると実感している。あと40~50年たてばもっと良くなると信じている。
「泥棒がいなければ警察はいらない」というように、動物たちが幸せに暮らせる社会が実現できれば、財団を縮小しても構わないし、他の公益法人等が私たちの財団の趣旨を理解して活動を引き受けてくれるのであればその公益法人にお任せして解散しても良いと思っている。
公益ではなく「一般」財団法人にとどめた理由は?
これまで三つの公益法人に何十年も属していたが、国の管理・指導のもと、小回りが利かない、すぐに支援したいのにできない、素早く動けないというもどかしさを感じていた。
「公益法人」だからこそという利点もたくさんあるが、私たちは、「公益法人」が手の届かない隙間に支援をしていきたいと思う。
後継者は?
とりあえず、後継者候補として設立メンバーの中に私の家族の名前を入れているが、家族も私もこだわらない。
周りからこの財団の趣旨を引き継いでくれる立派な人が出てきてくれるのであれば、その人にお任せしてもいいと思っている。法人の名前も変えてくれても構わない。
最後に一言お願いします
行政書士の田代さとみさんと出会えなければこの財団の設立はなかった。田代さんは、私とは方法こそ違うが、行政書士という仕事を通して動物の命を救う活動を行っている。
私が動物愛護福祉活動をする中で田代さんと出会い、「人と動物との共生推進よこはま協議会」(※1)の委員として共に活動するようになって既に5年経つ。田代さんという存在が、財団の大きな要素になっている。財団の要となる事務局を引き受けてもらった。また逆に、財団の存在が、田代さんの今後の活動にも役に立つと信じている。
(※1 市民、動物関係団体、獣医師の団体、行政等で動物の適正飼養に関する情報及び意見の交換を行うため、法律に基づき横浜市に設置された協議会)
あと、どうしてもお金に関わることなので、妻と子供たちの理解がなければ実現しなかった。反対するどころか「いいじゃない、今までやってきたことなんだし」と喜んで背中を押してくれた。そのおかげで正々堂々と活動することができて家族には感謝している。ただその家族からの唯一の条件が、財団法人の名称の中に「兵藤哲夫」とフルネームで入れて欲しいということだった。自分では少し気恥しい気もしたが、家族の気持ちを受け入れた。
ただ動物が好きで獣医師という職業を選んで、現場に出た。現場で、自分で望んで不幸になった動物はいないし、この子たちが自分から何かを要求しているわけではないと感じた。
動物を救うということが自己満足ではないかと自問自答したこともあったが、この子たちに少しでも寄り添ってあげられれば、そういう想いを持った人たちがたくさん周りに現れてくれれば、動物たちが少しでも苦痛を感じずに済むのであれば、自分の自己満足でも良いと思った。
80歳を超えてちょうど良いタイミングで「人生の集大成」ともいえるこの財団を作ることを決めた。
これからこの財団のことを広めて、同じ想いを持った仲間を増やしていきたい。そういう仲間のグループを作っていきたい。この財団がそういう人達の中心になれば良いと思う。まず人間同士が仲良くしないといけない。人間も動物も好きという人達が必要だ。
社会にそういった人の優しさが集まれば、人間の福祉にも貢献できる。犬猫だけでなく豊かな社会づくりのためにもこの財団は必要だと思う。
インタビューを終えて
以前に兵藤先生から聞いた「動物と暮らす楽しみを一人でも多くの人に知って欲しい」という言葉がある。
その言葉を聞いてから、私達が開催するペットのための遺言・信託セミナーは、「動物との楽しい暮らし」という切り口から入るようになった。
冒頭に紹介したエッセイ中にこんな一文もある。
「動物達に捧げた我が人生でした」
インタビューする中で感じ取れたのは「動物達へのあふれる愛情」だった。おそらく動物と暮らした子供のころから変わらないのではないだろうか、いや、より深くなっているのではないかと感じた。
大好きな動物が苦痛を感じることなく安心して暮らせる社会、そんな社会を作ろうと一生をかけて取り組んできた。そして自分がいつかいなくなるであろう後のことまで考えた動物のための財団なのだ。
いわば「動物たちへの恩返し」ともいえるだろうか。そんな兵藤先生の動物愛に満ちあふれた人生に私達は心から敬意を表したい。
(インタビューアー 事務局田代)